広島地方裁判所 平成5年(ワ)1062号 判決 1995年7月17日
原告
松岡盛雄
右訴訟代理人弁護士
佐藤博史
同
笠井治
同
小野正典
同
上本忠雄
同
松井武
被告
乙野太郎
右訴訟代理人弁護士
河村康男
同
渡辺直行
同
石口俊一
同
大迫唯志
同
山下哲夫
同
原垣内美陽
同
坂本宏一
同
笹木和義
同
坂本彰男
主文
一 被告は、原告に対し、金一一〇〇万円及びこれに対する平成五年八月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 原告の請求
被告は、原告に対し、金一六〇〇万円及びこれに対する平成五年八月七日(訴状送達の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、弁護士である被告との間で、受取人欄白地の約束手形について、裏書人から手形金を回収するための委任契約を締結したが、被告において、受取人欄が白地であることを看過し、原告に対して受取人欄の補充につき適切な説明・指示をしなかったため、手形金の一部しか回収できなかったと主張し、被告に対し、前記委任契約の債務不履行を原因として、回収が不能となった手形金相当額と弁護士費用の損害賠償を求めている事案である。
一 基本的事実関係
1 原告が約束手形を取得した経過(当事者間に争いがない。)
(一) 原告は、平成三年四月一〇日、フロンティア株式会社(以下「フロンティア」という。)に対し、弁済期を同月一八日と定め、連帯保証人を松本將美(フロンティアの代表取締役、以下「松本」という。)、尾崎隆之(フロンティアの従業員)及び白石誠之助(以下「白石」という。)として、一七二三万六九二八円を貸し付けた(以下「本件貸付金」という。)。
(二) しかし、フロンティアが本件貸付金を右弁済期までに弁済しなかったため、原告は、同月三〇日、弁済期を同年七月三〇日まで延期することとし、その担保として、フロンティアから、総和経営企画株式会社(代表取締役白石悦子[白石の妻]、以下「総和」という。)が振り出し(受取人欄及び振出日欄は、いずれも白地であった。)、京都新聞事業株式会社(第一裏書人、以下「京都新聞事業」という。)及び白石(第二裏書人)がいずれも拒絶証書の作成義務を免除して裏書した旨の記載のある三通の約束手形(額面は、一〇〇〇万円のものが二通と二五〇万円のものが一通の合計二二五〇万円で、満期は、額面一〇〇〇万円のもの一通が同年七月三〇日で、その余の二通が同月三一日であった。以下、一括して「本件手形」という。)を受領した。
2 原告が被告に法律相談をするに至った経過(争いのない事実、甲二〇、証人城坂豊行、原告本人)
(一) 原告は、平成二年二月ころ、自己の取引の必要から広島市安佐南農業協同組合(以下「安佐南農協」という。)に初めて当座預金の口座を開設し、同月ころ及び同年七月ころの二回にわたって、かねて取引関係があり、また共同事業のパートナーでもあったフロンティアから受領した約束手形十数通を預託し、取立てに回してもらっていた。
(二) ところが、フロンティアが平成三年六月ころ倒産してしまったため、原告は、フロンティアから前記の弁済期までに本件貸付金の弁済を受けられる可能性が乏しくなったと判断し、同月二五日ころ、本件手形を用いて本件貸付金を回収する方法を相談するため、安佐南農協を訪れた。
その際、原告と応対した安佐南農協の渉外係である城坂豊行(以下「城坂」という。)は、手形に関する法律的知識に乏しいため、原告に対し、法律の専門家である弁護士に相談して助言を受けることを勧め、同農協の顧問弁護士である被告を紹介した。
3 原告の被告に対する法律相談の経過(争いのない事実、甲九ないし一八、二〇、乙一、六、八、証人城坂、原告及び被告各本人)
(一) 原告は、平成三年七月二日(なお、以下、この日の法律相談を「第一回相談」という。)、城坂とともに、広島市中区内にある被告の法律事務所を訪れ、被告に対し、本件手形のほか、安佐南農協に預けてあったフロンティアないし総和等に関する一件書類(原告とフロンティアとの間の金銭消費貸借契約書、フロンティアの経歴書及び商業登記簿謄本、フロンティア及び京都新聞事業に関する各調査報告書、総和とフロンティアとの間の売買基本契約書、総和の商業登記簿謄本、フロンティア振出にかかる額面一七三三万六二三九円[本件貸付金元金と金利の合計額]の小切手、企業録中の京都新聞事業に関する部分、人名録中の白石らに関する部分、関係の新聞記事等)に基づいて、これまでの事実経過を説明した。
(二) そして、原告は、被告に対し、フロンティアは既に取引停止状態にあり、その余の関係者にも資力がないため、本件手形の第一裏書人である京都新聞事業から手形金を回収するほかないと思われるが、そのためにはどうしたらよいかを質問し、被告の助言を求めた。
これに対し、被告は、原告のいうとおり、京都新聞事業から手形金を回収するほかないと判断されるが、そのためには、本件手形を金融機関を通じ満期に呈示することが必要であり、振出人から支払われなかった場合に改めて裏書人に対して請求することになる旨回答するとともに、本件手形を手に持って見て、振出日欄が記入されていないことを指摘し、これを記入した上で呈示するよう原告に指示した。
この指摘に対して、原告は、何日の日付を記入すればよいのか分からなかったため、被告に対し、その旨質問したところ、被告は、本件手形を受領した日を記入するよう回答した。
なお、その際、特に相談料の話は出なかったが、原告は、今後も被告の世話になるので宜しくと述べた上、本件手形のコピーとその他の一件書類を被告に預けた(なお、被告は、この日一件書類を預かったことを否認するけれども、証人城坂の証言及び原告本人の供述によれば、前記のように認められる。この点に関する被告本人の供述は曖昧であり、この認定を左右するものではない。)。
(三) 原告は、同月一七日ころ、総和の振出にかかる手形が不渡りとなり、白石が暴力団に依頼して手形のサルベージやジャンプを考えているという情報を得た。
そこで、原告は、同月一九日(なお、以下、この日の相談を「第二回相談」という。)、被告の法律事務所を訪れ、被告に対し、右の趣旨を告げ、これに対する対応につき助言を求めた。
これに対し、被告は、サルベージやジャンプの話に乗ってはいけない、第一回相談で指示したとおり本件手形を満期に呈示すべきである旨回答した。
なお、当日の相談を終えるに際し、原告が被告に対し相談料を支払いたい旨申し出たため、被告が相談料は一回分五〇〇〇円である旨回答したところ、原告は、第一回相談の相談料と併せて一万円を支払う旨の申出をし、被告はこれを了承した。そこで、原告は、数日後、指定された被告の銀行口座にこれを振込送金した。
(四) 原告は、同月二九日(なお、以下、この日の相談を「第三回相談」という。)、被告に電話を架け、フロンティアの代表取締役である松本から本件手形の処理を同人に委ねれば、上手く処理してやる旨の電話を受けたとしてその取扱いにつき助言を求めた。
これに対して、被告は、「弁護士に任せてあると答えるべきである。松本に被告の氏名、電話番号を教えてもよい。」旨回答した。そこで、原告が妻を介してその旨を松本に伝えたところ、松本は、被告に電話してきて、本件手形のジャンプを依頼したが、被告は、原告に示した方針に従ってこれを断った。
4 原告が被告に相談した後の経過(争いのない事実、甲四ないし六、八、二〇、乙五、六、証人城坂及び同小原正敏、原告及び被告各本人)
(一) 原告は、被告の指示に従い、自己の手帳で本件手形を受領した日を平成三年四月三〇日と確認し、この日付を各手形の振出日欄に記入したものの、受取人欄は記入しないまま、本件手形を安佐南農協を通じて満期(平成三年七月三〇日及び同月三一日)に支払場所に呈示した(安佐南農協の担当者も受取人欄の補充をしなかった。)が、予想どおり、いずれも「資金不足」を理由として不渡りとなった。
(二) 原告は、同年八月五日、本件手形の原本を持参して、被告の法律事務所を訪れ、被告に今後の処理方針につき相談したところ、被告は、まず、京都新聞事業に対し本件手形の裏書人として手形金の支払を求める内容証明郵便を出して交渉すること、京都新聞事業がこれに応じないときには、京都地方裁判所に手形訴訟を提起しなければならなくなるが、訴訟を提起する場合は、弁護士費用等を考慮すると、地理的便宜からみて京都若しくはその周辺の弁護士に依頼した方がよいと思う旨説明した。そこで、原告は、被告に対し、京都新聞事業に対する内容証明郵便の作成送付とこれに伴う任意交渉に関する事務の処理を依頼することとし、内容証明郵便の作成費用として被告の請求した一万五〇〇〇円を、同月七日、振込送金した。
(三) 被告は、同月七日、原告の代理人として、京都新聞事業に対し、本件手形の裏書人として二二五〇万円の支払義務がある旨、近々手形訴訟を提起する予定であるが、事前に原因関係である貸金債務につき支払方の話合いができるのであれば、手形金額と原因関係債務の元利とを清算する用意がある旨を通告する内容証明郵便を作成して郵送し、同月九日、右内容証明郵便は京都新聞事業に到達した。
(四) これに対し、京都新聞事業は、同月一二日付の書面で被告に対し、京都新聞事業としては本件手形に裏書した事実はなく、現時点では手形金を支払う意思はない旨回答した。
(五) 原告は、同月一九日ころ、被告の法律事務所を訪れ、被告から本件手形のほか前記の一件書類の返還を受けるとともに、手形訴訟を担当すべき弁護士として、大阪弁護士会所属の小原正敏弁護士(以下「小原弁護士」という。)の紹介を受けた。小原弁護士は、被告の友人である。
そして、原告は、同月二二日、大阪市北区内にある小原弁護士の法律事務所(吉川総合法律事務所)を訪れ、本件手形について手形訴訟を提起することを委任し、同弁護士に本件手形と一件書類を預けた。
なお、被告は、原告に小原弁護士を紹介するに先立って、同弁護士にその旨連絡し、事件受任の了承を得ていたが、右連絡に際し、本件手形の受取人欄が白地である旨を告知した事実はない。
(六) 小原弁護士は、同年九月中旬ころ、手形訴訟の提起前の資料検討の際、本件手形は、受取人欄が白地のまま支払呈示されていることに気付き、このままでは裏書人に対する訴訟を提起しても勝訴の見込みがないことを認識し、この旨電話で被告に告げるとともに、原告にも説明した。
そこで、原告は、小原弁護士に善後策を質問したところ、本件手形を呈示した後に受取人欄を補充しても法的には無効であるが、相手が気付かない場合にはそのまま通ることもあるということであったため、原告の責任において受取人欄を補充するため、小原弁護士から一旦本件手形の返還を受け、城坂が同席する場で、本件手形の受取人欄に京都新聞事業の社名を記入してこれを補充した上、小原弁護士に郵送した。
このようにして、小原弁護士は、同年一〇月一五日、総和(振出人)、京都新聞事業及び白石(裏書人)を共同被告として、手形金二二五〇万円及びこれに対する満期日以降の法定利息の支払を求める手形訴訟を京都地方裁判所に提起した。
(七) 右の手形訴訟においては、京都新聞事業のみが請求棄却を求める旨答弁し(裏書が偽造である等の抗弁を主張した。)、その余の被告らは口頭弁論期日に欠席したため、同年一二月一〇日、京都新聞事業を除く被告らに関して、原告勝訴の手形判決がされた。
京都新聞事業に関しては、通常手続に移行の上、証拠調が実施されてきた。そして、京都新聞事業は、当初、本件手形が受取人欄白地のままで支払呈示されたことに気付かなかったため、平成四年一〇月一三日の期日には和解の申出をし、原因関係である貸金債権の元本を支払う旨の提案をした。
これに対し、原告は、これに費用の上積みを求め、期日は続行された。次回期日の同年一一月一八日の数日前、京都新聞事業の代理人から和解金として一八〇〇万円を支払う用意がある旨の提案があり、原告と小原弁護士は、一応前記上積み分を考慮して一九〇〇万円を要求することとするが、最終的には一八〇〇万円でも受諾することにする旨相談の上、右期日に臨んだ。
ところが、右期日においては、京都新聞事業側は、支払呈示当時のマイクロフィルムを調査したところ、受取人欄白地であった事実が判明したとして前記提案を撤回し、裁判所も、そのとおりであるとすれば、京都新聞事業に法的責任があることを前提として和解手続を進めることはできない旨述べるに至った。
もっとも、京都新聞事業は、和解手続の続行を求め、同年一二月一六日の期日において、将来の原因関係上の紛争を回避するため等諸般の事情に鑑み、原告に対して和解金として八〇〇万円を支払う旨改めて提案してきたため、原告としては、これを受諾することとし、平成五年一月二六日、京都新聞事業との間でその旨の和解を成立させ、同年二月一日、和解金八〇〇万円を受領した。
二 本件の争点
1 原告と被告との間で、本件手形に関して、どのような内容の委任契約が締結されたのか。
2 右の委任契約において、被告は、債務を履行したといえるか(被告が原告に対して行うべき説明・指示義務の範囲と被告の行った具体的な説明・指示の関係)。
3 右の債務不履行が肯定されたとして、原告が被った損害額。
三 争点に関する当事者の主張
1 原告の主張
(一) 委任契約の成立
第一回相談において、原告が、被告に対して本件手形の処理を任せたい旨申し出たところ、被告は、これを了承し、本件手形のコピーと一件書類を預かった。
次いで、第二回相談において、原告が、被告に対して本件手形呈示後の法的手続も依頼したい旨申し出たところ、被告は、これを了承し、弁護士費用については、手形訴訟等が必要となったときは、その段階で更に話し合うという条件で、それまでの相談料を受領した。
したがって、遅くとも、第二回相談のころまでに、原告と被告との間で、本件手形に関して、その第一裏書人である京都新聞事業に対し、裏書人としての責任を追及して手形金二二五〇万円を回収することを内容とする委任契約が締結された。
(二) 委任契約の債務不履行
(1) 原告も城坂も、約束手形に関する基礎的な知識を有しておらず、第一回相談に際しては、事実経過を説明する前提として、その旨被告に告げている。
(2) 前記のとおり、本件手形は、振出日欄と受取人欄が白地であり、本件手形によって裏書人の責任を追及するためには、振出日欄を補充するだけでなく、受取人欄に第一裏書人たる京都新聞事業の社名を記入してこれを補充し、裏書が連続した手形にする必要があったから、右(一)のとおりの委任を受けた弁護士たる被告としては、原告に対し、振出日の補充に関する説明に加え、受取人欄に第一裏書人たる京都新聞事業の社名を記入してこれを補充するよう具体的に説明し、その旨指示をすべき義務があったものというべきである。
(3) しかるに、被告は、本件手形の受取人欄が白地であることに気付かず、原告に対し、振出日欄を記入することだけを指示し、受取人欄に第一裏書人たる京都新聞事業の社名を記入してこれを補充するよう具体的に指示しなかった。
したがって、被告は、原告との間の委任契約に基づく債務の履行を怠ったというほかはない。
(三) 原告が被った損害額
(1) 原告は、被告の右のような債務不履行により、本件手形金二二五〇万円全額の回収ができたものというべきであるのに、前記和解金八〇〇万円しか回収することができなかったから、その差額である一四五〇万円の損害を被った。
(2) また、原告は、被告が責任を否定するため、本件訴訟の提起を原告訴訟代理人に委任することを余儀なくされ、その着手金として一五〇万円を支払った。
よって、原告は、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、合計一六〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日である平成五年八月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める。
2 被告の主張
(一) 委任契約の成立に関する原告の主張は、否認ないし争う。
(1) 第一回相談は、本件貸付金の回収方法に関する一回きり、かつ、一般的な相談であり、本件手形に関して、その第一裏書人である京都新聞事業に対し、裏書人としての責任を追及して手形金二二五〇万円を回収することを最終的、かつ、具体的に委任することを内容とするものではなかった。
すなわち、原告は、被告に対し、本件手形と一件書類の一部を提示しながら、フロンティアから本件貸付金を回収するためにはどのような方法がよいかを相談したのであり、被告は、原告との話の中で、フロンティアには自己破産の動きがあること、白石には二億円位の債務があるらしいことを聞き出し、原告に対し、本件手形の裏書人である京都新聞事業から回収する方法が一番早い旨を説明したものの、未だ本件手形の満期が到来していなかったため、まず満期に本件手形を呈示するように、もし本件手形が不渡りになれば、その段階で更に方法を考えようと説明したにすぎない。
したがって、弁護士費用についてはもちろん、右同日の相談料についても支払の約束をせず、委任状等も作成しなかった。
(2) 次いで、第二回相談においても、原告は、被告に対し、本件手形のサルベージやジャンプの依頼に対してどのように対応したらよいかを相談したため、被告は、本件手形を満期に呈示すべきであり、サルベージやジャンプの話に乗ってはいけないと勧告しただけであり、本件手形に関して、京都新聞事業に対し、裏書人としての責任を追及して手形金二二五〇万円を回収することを最終的、かつ、具体的に受任するような話はしていない。
(二) 委任契約の債務不履行に関する原告の主張中、被告が原告に対して、本件手形の受取人欄に第一裏書人たる京都新聞事業の社名を記入してこれを補充するよう具体的に指示しなかったことは認めるが、その余は否認ないし争う。
(1) 法律相談は、弁護士と相談者との間の会話の上に成立するものであるから、相談者の資質や会話の具体的な内容に応じて、回答者たる弁護士が相談者に対して行うべき説明・指示の範囲も具体的に異なるというべきである。
ところで、原告は、本件手形を取得する以前、何度か担保としての約束手形や支払のための約束手形(いずれも裏書人があった。)を取り扱ったことがあり、約束手形を取立てに回したことや、取立てに回した約束手形が不渡りとなった経験を有していたのであるから、原告には約束手形に関する基礎的な知識があったというべきである。また、原告は、本件手形を取得した経過からして、本件手形が正常な取引に関して振り出されたものでないことを十分知っていたはずである。
そして、原告の被告に対する法律相談の内容は、前記(一)のとおりであったから、被告が原告に対して、本件手形の受取人欄に京都新聞事業の社名を記入してこれを補充するよう具体的に説明・指示すべき義務はもちろんのこと、本件手形の受取人欄を補充するよう説明・指示する義務もあったとはいえず、被告は、原告に対し、前記(一)のとおり本件貸付金の回収に関する一般的な説明を行ったものであり、被告が弁護士としての説明・指示義務を怠ったものとはいえない。
(2) のみならず、被告が原告に対して、本件手形の受取人欄を補充するよう説明・指示すべき義務があったとしても、被告は、本件手形を見たところ、振出日欄と受取人欄が白地であったため、原告に対し、手形要件の説明を付け加え、振出日欄と受取人欄を記入しないまま呈示すると、有効な呈示にならないので、その空欄部分をすべて記入するよう指示したほか、特に振出日欄については、その記入を失念することが多々あることに思い至ったため、原告に対し、特に振出日欄については忘れることがあるので、注意するように念を押して指示した。
したがって、この点においても、被告が弁護士としての説明・指示義務を怠ったものとはいえない。
(三) 原告が被った損害額に関する原告の主張は、否認ないし争う。
第三 当裁判所の判断
一 争点1(委任契約の内容)について
1 原告の被告に対する法律相談の経過は、前記のとおりである。
2 ところで、原告は、遅くとも、第二回相談のころまでに、被告との間で、本件手形に関して、京都新聞事業に対し、裏書人としての責任を追及して手形金二二五〇万円を回収することを内容とする委任契約が締結された旨主張し、他方、被告は、第一回相談は、本件貸付金の回収方法に関する一回きり、かつ、一般的な相談であったし、第二回相談においても本件手形のサルベージやジャンプ依頼に対する対応を勧告したに過ぎず、京都新聞事業から手形金二二五〇万円を回収することを具体的に受任するような話はしていない旨主張している。
確かに、第一回相談においては、原告と被告との間で、本件手形に関してある程度具体的な相談が行われたこと、また、その際、原告は被告に対し、今後も世話になる旨述べて本件手形のコピーと一件書類を預けたことなどは原告主張を裏付けるものとみる余地はあり、甲二〇号証、証人城坂の証言及び原告本人の供述の中にも、右主張に沿った部分が存する。
しかしながら、第一回相談においては、委任状等も作成されておらず、また、第二回相談の後においても、第一回相談の相談料と併せて一万円が支払われたに過ぎないこと、その後、被告は、原告を代理して、京都新聞事業に対し、内容証明郵便を作成して郵送したものの、権利実現の最終手段である手形訴訟は、小原弁護士に委ねられたこと等の客観的な事実からみると、前記の事実があるからといって、第二回相談のころの時点で、本件手形の最終的な処理を委任するという意味での委任契約が成立したと認めることは困難である。
しかし、また、右のような客観的な事実があるからといって、前記のとおり第一回相談においては、本件手形に関してある程度具体的な相談が行われ、その際、原告は、被告に対し、本件手形のコピーと一件書類を預けていること、第一回ないし第三回の相談は、本件手形の回収に関する一連のものとして理解することができることからすれば、第一回ないし第三回の相談は、その都度が本件貸付金の回収方法に関する一回きり、かつ、一般的な相談であったに止まるとみるのも相当でない。
3 むしろ、前記の事実関係を客観的に評価すれば、第一回ないし第三回の相談において、原告と被告との間には、本件手形の回収方法、特に裏書人たる京都新聞事業に対して、最終的には手形訴訟の提起を行うことになることを展望的に想定した上で、その前段階である支払呈示前の本件手形に関して、京都新聞事業に対し、裏書人としての責任を追及するために必要な方法につき、被告が原告に対して適切な法律的助言を行うことを内容とする委任契約が締結されていたとみるのが相当である(以下、これを「本件委任契約」という。)。
二 争点2(本件委任契約の債務不履行)について
1 説明・指示義務の範囲について
(一) 被告は、弁護士に対する法律相談は、弁護士と相談者との間の会話の上に成立するものであるから、相談者の資質や会話の具体的な内容に応じて、回答者たる弁護士が相談者に対して行うべき説明・指示の範囲も異なる旨主張するところ、右見解は、本件委任契約における被告についても一般論としては一応妥当するものということができる。
(二) そこで、本件に即して具体的に検討するに、原告及び城坂が約束手形に関する基礎的な知識を有していたことを認めるに足りる証拠はない。前記のとおり、原告は、平成二年二月ころ、安佐南農協に初めて当座預金の口座を開設し、同月ころ及び同年七月ころの二回にわたって、フロンティアから受領した約束手形を預託し、取立てに回してもらっていたという事実はあるが、甲二〇号証及び原告本人の供述によれば、その約束手形が不渡りになったことがあったものの、直ちに現金で決済されたため、原告が手形によって債権の回収をした経験はこれまでになかったことが認められるので、右の事実があるからといって原告に約束手形に関する基礎的な知識があったとはいい難い。特に、本件において問題とされるのは、裏書人に対する遡求権保全の方法という、より高度の法律知識であり、この知識を原告が有していたことを認めるべき証拠は見当たらない。また、被告は、原告において本件手形が正常な取引によって振り出されたものでないことを知っていたはずである旨主張するけれども、原告において、本件手形が不渡りとなる可能性があること以上に、右の点を認識していたことを認めるに足りる証拠はない。
なお、原告及び城坂が相談に際して約束手形に関する基礎的な知識を有していない旨、特に被告に告知したことについては、これを認めるには至らないけれども、弁護士に相談する者は、とかく法律的な知識に乏しいのが一般であり、または、一応の知識を有していても、それを確認することに十分意義があるというべきであるから、右の告知が認められないからといって、それが直ちに被告の説明・指示義務を減殺する事情となるとはいい難い。
(三) ところで、本件手形は、振出日欄と受取人欄が白地であったから、本件手形によって、法律上有効に裏書人の責任を追及するためには、支払呈示に先立って、振出日欄を補充するだけでなく、受取人欄に第一裏書人たる京都新聞事業の社名を記入してこれを補充し、裏書が連続した手形にする必要があるものであることはいうまでもないところである。
そこで、前記のような原告の被告に対する相談の経過及び前記一のような本件委任契約の内容に、右(二)の事情を総合すれば、本件手形が現実に持参されており、具体的な相談の過程において、その第一裏書人として表示されている京都新聞事業に対する責任追及の方法につき助言を求められているのであるから、相談を受けた弁護士たる被告としては、原告に対し、本件手形によって裏書人の責任を法律上有効に追及するためには、振出日欄とともに裏書人欄を補充するよう、そして、必要に応じて、振出日としてどのような日付を記入すべきかについて、また、受取人欄に第一裏書人たる京都新聞事業の社名を記入してこれを補充しなければならない旨を具体的に説明・指示すべき義務があったというべきである。
この点に関する被告の主張は採用できない。
2 被告の行った具体的な説明・指示等について
(一) 被告が原告に対して、振出日欄の補充方法を具体的に指示したことは前記のとおりであるが、本件手形の受取人欄に第一裏書人たる京都新聞事業の社名を記入してこれを補充するよう具体的に指示しなかったことは当事者間に争いがない。
(二) ところで、弁護士たる者が右のような説明・指示の義務を履行するためには、まず、当該手形が受取人欄白地であることを認識することが前提となることはいうまでもないところである。
そこで、被告において本件手形の受取人欄が白地であることを認識していたかどうかについて検討する。
この点に関し、被告は、第一回相談において本件手形を見たときに、振出日欄と受取人欄が白地であったことに気付いたため、原告に対し、手形要件の説明を付け加え、振出日欄と受取人欄を記入しないまま呈示すると有効な呈示にならないので、その空欄部分をすべて記入するよう指示したほか、特に振出日欄については、その記入を失念することが多々あることに思い至ったため、原告に対し、特に振出日欄については忘れることがあるので、注意するように念を押して指示した旨供述し、乙六号証(被告の陳述書)及び証人小原の証言中にも右供述に沿った部分が存する。
しかしながら、右供述のうち、被告が受取人欄の記入について抽象的にでも言及したとの点は、原告のみならず城坂証人も明確に否定しているだけでなく、振出日欄と受取人欄の双方が白地であることを認識しておりながら、振出日欄の補充については具体的に説明を加えたのに対し(この点は、原告も城坂証人も肯定している。)、より技術的ともいうべき受取人欄の補充については抽象的言及にとどめたという(受取人欄の補充につき具体的指示をしなかったこと自体は当事者間に争いのないことは前記のとおりである。)のは、いかにも合理性に欠け、首肯し難いものがあるというべきである。
次に、被告は、本件手形が不渡りとなり、京都新聞事業に対する内容証明郵便を出すことになった時点においても、さらには、これに対する拒否回答があって、手形訴訟を提起することになる旨の説明をした時点においても、原告に対し、受取人欄白地のまま本件手形を呈示したことについて、何ら触れていないのであり、小原弁護士に事件を引き継いだときにも、このことを全く告げていないことは前記のとおりである。
これらの客観的な事実は、第一回相談の際から小原弁護士に事件を委ねるまでの間、被告が本件手形の受取人欄が白地であることにつき認識を欠いていたことに符合するものといわざるを得ない(この点に関し、被告は、京都新聞事業に対する内容証明郵便を作成した際、本件手形の受取人欄が補充されていないことに気付いたが、交渉の段階で解決がつけばこの点が問題となることはないし、自己の顧問先である安佐南農協が責任を追及されることになると困ると思い、あえてこの点を原告に告げなかったとか、あるいは、本件手形の受取人欄が白地であることは一見して分かるから、あえて小原弁護士に対してこの点につき言及しなかったと弁解しているが、不自然というほかはなく採用できない。)。
そして、甲二二号証の一、二、二二号証の一、二、原告及び被告各本人の供述によれば、被告は、原告が本件訴訟を提起するまでの示談交渉の場において、原告ないし原告訴訟代理人に対し、本件手形の受取人欄を補充するよう原告に指示しなかったことを自認するかのような発言をしていたことが窺われるのである。
以上の事実関係からすると、被告は、本件手形の第一裏書人欄に京都新聞事業の記入があったことから、受取人欄にも同様の記入がされているものとばかり思い込んでしまったものと、むしろ推認されるのである。
(三) 以上によると、被告は、当時、本件手形の受取人欄が白地であることを認識しておらず、それゆえ、原告に対しその補充をするよう具体的に説明ないし指示する義務を怠ったものと認めざるを得ない。
三 争点3(原告の被った損害)について
1 原告が被告に相談した後の経過、原告が小原弁護士に委任して提起した手形訴訟(通常訴訟に移行)の経過は、前記のとおりである。
これらによれば、被告は、本件委任契約の前記債務不履行により原告の被った損害を賠償する責任があるものというべきである。
2 原告は、京都新聞事業から本件手形金二二五〇万円全額の回収ができたものであるとして、和解によって現実に回収できた八〇〇万円との差額一四五〇万円が本件債務不履行による損害であると主張している。
原告の右主張は、原告が京都新聞事業に対する訴訟において、全部勝訴の終局判決を得ることができたことを前提とするものである。
しかしながら、本件手形は、本件貸付金の担保として原告が受領したものであるところ、原告が被告に委任して京都新聞事業に宛てた前記内容証明郵便には、その旨を明示し、手形金額と原因関係債務の元利とを清算する用意がある旨記載したこと(この当時、原告と被告の間には十分な信頼関係があったことは明らかである。)、前記訴訟においても、京都新聞事業からの和解の申出に対し、原告は、本件貸付金の元本に若干の費用の上積みを考慮した金額として一応一九〇〇万円を要求することとするが、これが無理であれば、京都新聞事業提案の一八〇〇万円を受諾するつもりで和解期日に臨んだこと等の前示の事実関係からすれば、右訴訟が終局判決にまで至ったであろうとは推認することはできず、むしろ、和解で終局した蓋然性が極めて高いものというべきである。
本件の原告訴訟代理人も、本件訴訟提起に先立つ被告の代理人に対する書簡(甲七号証の六)において、このことを暗黙に肯定しているものと理解することは不可能ではない。
そうすると、原告の被った損害は、終局判決の認容額を基準とするのではなく、成立に至ったと推認される和解金額に基づいて算定するのが相当というべきである。
そして、前記の事実関係に照らせば、原告は、右訴訟手続中の和解において、一八〇〇万円を下らない和解金を取得できたものと推認できるから、本件債務不履行によって原告の被った損害は、現実の取得額八〇〇万円との差額である一〇〇〇万円と認めるのが相当である。
3 また、原告本人の供述によれば、原告は、本件訴訟の提起を原告訴訟代理人に委任し、その着手金として一五〇万円を支払ったことが認められるところ、本件訴訟の内容等に照らし、右のうち一〇〇万円についても、本件債務不履行と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
4 なお、付言するが、右のとおり、原告が京都新聞事業から実際に本件手形金を回収できなかった以上、右の次第で京都新聞事業から回収が不能となった一〇〇〇万円の範囲で、原告には当然に損害が生じたものというべきである。
したがって、前記のとおり、本件手形は、原告がフロンティアから本件貸付金の担保として受領したものであるが、原因債権たる本件貸付金(その元金は一七二三万六九二八円)を基準として、原告に生じた損害を算定することは相当でなく、また、京都新聞事業以外の本件手形の債務者や本件貸付金の連帯保証人に資力があったかどうかを考慮することも相当でない(もっとも、総和が倒産状態にあったことは前記のとおりであり、また、証人小原の証言及び原告本人の供述に弁論の全趣旨を総合すれば、京都新聞事業以外の本件手形の債務者、本件貸付金の連帯保証人にも資力がなかったことが認められる。)。
また、法律相談における相談者である原告と回答者としての弁護士である被告との相互の関係を考慮すれば、本件において、過失相殺の対象とすべき過失が原告にあったものとは認めることはできない。
四 結論
以上の次第で、被告は、本件委任契約に基づく説明・指示義務を怠り、原告に対して前記一一〇〇万円の損害を与えたということができるから、原告の本件請求は、右の限度で理由がある。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官髙橋善久 裁判長裁判官田中壯太、裁判官野島秀夫は、いずれも転補のため署名捺印することができない。裁判官髙橋善久)